タイミング
- 2005/05/26
小学生の頃、水泳の授業がそれはそれは大嫌いだった。
理由はもちろん泳げないからで、
それどころか水に顔をつけるのも怖い、
5年生になるまでギュッと目を瞑って
とにかく潜るのが精一杯・・・という状態だった。
夏休みになるとプール教室をいかにしてサボるかで頭を悩ませていた。
お腹が痛いとか熱があるとか言って、
それでも「行きなさい」と言われると泣いて抵抗した。
うちは両親が共働きで、おばあちゃんに面倒を見てもらってたんだけど、
ずい分手こずらせてしまったんだろうなぁと思う。
ところが、6年生になったある日。ふいに、本当にふいに、
25メートルを泳ぎきることができた(息継ぎなしのバタ足で)。
多分キッカケなんてものはなかった。
あったとしてもほんの些細なことで、
単に「泳げるかも」「泳いでみようかな」と、
いわゆる"気が向いた"のである。
それからの私はいきなり水泳にのめりこみ、
なんと夏休みのプール教室に毎日欠かさず通いつめた。
学校のプール検定を一気に駆け上っていき、
結局、最上級にあと一歩というところで夏が終わった。
そんな私に、両親もおばあちゃんも先生も、
感心するというよりは半ば呆れていたような気がする。
あんなに嫌がってたのに、どうして?
自分でもそう思う。水が怖かったなんて信じられない。
今では水がある場所にいるだけで、気持ちが安らぐ。
何で急にこんなことを書いているのかというと、
最近自分って極端な性格だなとつくづく感じていて、
そういえば子供の頃からそうだっけ、
うわ、何にも変わってないんじゃん、
なんて今さら思い至ってしまったわけで・・・
苦手、面倒、と思って遠ざけたり延ばし延ばしにしていたことを、
ある日ふいに気が向いてやってみて、
やってみるとこれが意外に楽しくて、というか楽しくてたまらなくて、
気づけばもう夢中、そのことで頭がいっぱい。
という図式が大小問わず生活全般に定着している。
だったら最初からやればいいのにと思うのだが、
この「ふいに」というのが重要で、
こればっかりは自分でコントロールすることができない。
私はそれを「タイミング」と呼んでいて、
だから私の人生においてとにかく大切なのは、タイミングなのである。
今は無理だと思っていることも、
「できない」のではなく「やってない」だけで、
タイミングしだいでは得意分野になるかもしれない。
そう考えると、毎日が可能性に満ちていて、より楽しく思えてくる。
なんて、都合のよい方へ結論を持っていくのもやっぱり性格でしょうか。